歩の隔《へだた》りに立つ、体《たい》を斜《なな》めに捩《ねじ》って、後目《しりめ》に余が驚愕《きょうがく》と狼狽《ろうばい》を心地《ここち》よげに眺《なが》めている女を、もっとも適当に叙《じょ》すべき用語を拾い来ったなら、どれほどの数になるか知れない。しかし生れて三十余年の今日《こんにち》に至るまで未《いま》だかつて、かかる表情を見た事がない。美術家の評によると、希臘《ギリシャ》の彫刻の理想は、端粛《たんしゅく》の二字に帰《き》するそうである。端粛とは人間の活力の動かんとして、未だ動かざる姿と思う。動けばどう変化するか、風雲《ふううん》か雷霆《らいてい》か、見わけのつかぬところに余韻《よいん》が縹緲《ひょうびょう》と存するから含蓄《がんちく》の趣《おもむき》を百世《ひゃくせい》の後《のち》に伝うるのであろう。世上幾多の尊厳と威儀とはこの湛然《たんぜん》たる可能力の裏面に伏在している。動けばあらわれる。あらわるれば一か二か三か必ず始末がつく。一も二も三も必ず特殊の能力には相違なかろうが、すでに一となり、二となり、三となった暁《あかつき》には、※[#「てへん+施のつくり」、第3水準1−84
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