常人[#「常人」に傍点]の心持ちで、曾遊を語るときはすでに詩人[#「詩人」に傍点]の態度にあるから、こんな矛盾が起る。して見ると四角な世界から常識と名のつく、一角《いっかく》を磨滅《まめつ》して、三角のうちに住むのを芸術家と呼んでもよかろう。
 この故《ゆえ》に天然《てんねん》にあれ、人事にあれ、衆俗《しゅうぞく》の辟易《へきえき》して近づきがたしとなすところにおいて、芸術家は無数の琳琅《りんろう》を見、無上《むじょう》の宝※[#「王へん+路」、第3水準1−88−29]《ほうろ》を知る。俗にこれを名《なづ》けて美化《びか》と云う。その実は美化でも何でもない。燦爛《さんらん》たる彩光《さいこう》は、炳乎《へいこ》として昔から現象世界に実在している。ただ一翳《いちえい》眼に在《あ》って空花乱墜《くうげらんつい》するが故に、俗累《ぞくるい》の覊絏牢《きせつろう》として絶《た》ちがたきが故に、栄辱得喪《えいじょくとくそう》のわれに逼《せま》る事、念々切《せつ》なるが故に、ターナーが汽車を写すまでは汽車の美を解せず、応挙《おうきょ》が幽霊を描《えが》くまでは幽霊の美を知らずに打ち過ぎるのである。
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