を、さらさらと転《ころ》げ落ちる。馬は驚ろいて、長い鬣《たてがみ》を上下《うえした》に振る。
「コーラッ」と叱《しか》りつける源さんの声が、じゃらん、じゃらんと共に余の冥想《めいそう》を破る。
 御婆さんが云う。「源さん、わたしゃ、お嫁入りのときの姿が、まだ眼前《めさき》に散らついている。裾模様《すそもよう》の振袖《ふりそで》に、高島田《たかしまだ》で、馬に乗って……」
「そうさ、船ではなかった。馬であった。やはりここで休んで行ったな、御叔母《おば》さん」
「あい、その桜の下で嬢様の馬がとまったとき、桜の花がほろほろと落ちて、せっかくの島田に斑《ふ》が出来ました」
 余はまた写生帖をあける。この景色は画《え》にもなる、詩にもなる。心のうちに花嫁の姿を浮べて、当時の様を想像して見てしたり顔に、
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花の頃を越えてかしこし馬に嫁
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と書きつける。不思議な事には衣装《いしょう》も髪も馬も桜もはっきりと目に映じたが、花嫁の顔だけは、どうしても思いつけなかった。しばらくあの顔か、この顔か、と思案しているうちに、ミレーのかいた、オフェリヤの面影《おもかげ
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