B趣味の何物たるをも心得ぬ下司下郎《げすげろう》の、わが卑《いや》しき心根に比較して他《た》を賤《いや》しむに至っては許しがたい。昔し巌頭《がんとう》の吟《ぎん》を遺《のこ》して、五十丈の飛瀑《ひばく》を直下して急湍《きゅうたん》に赴《おもむ》いた青年がある。余の視《み》るところにては、彼の青年は美の一字のために、捨つべからざる命を捨てたるものと思う。死そのものは洵《まこと》に壮烈である、ただその死を促《うな》がすの動機に至っては解しがたい。されども死そのものの壮烈をだに体し得ざるものが、いかにして藤村子《ふじむらし》の所作《しょさ》を嗤い得べき。彼らは壮烈の最後を遂《と》ぐるの情趣を味《あじわ》い得ざるが故《ゆえ》に、たとい正当の事情のもとにも、とうてい壮烈の最後を遂げ得べからざる制限ある点において、藤村子よりは人格として劣等であるから、嗤う権利がないものと余は主張する。
余は画工である。画工であればこそ趣味専門の男として、たとい人情世界に堕在《だざい》するも、東西両隣りの没風流漢《ぼつふうりゅうかん》よりも高尚である。社会の一員として優に他を教育すべき地位に立っている。詩なきもの
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