ァったとするならば、余の苦痛は恐らく言語《ごんご》に絶するだろう。余のこのたびの旅行は俗情を離れて、あくまで画工になり切るのが主意であるから、眼に入るものはことごとく画として見なければならん。能、芝居、もしくは詩中の人物としてのみ観察しなければならん。この覚悟の眼鏡《めがね》から、あの女を覗《のぞ》いて見ると、あの女は、今まで見た女のうちでもっともうつくしい所作をする。自分でうつくしい芸をして見せると云う気がないだけに役者の所作よりもなおうつくしい。
 こんな考《かんがえ》をもつ余を、誤解してはならん。社会の公民として不適当だなどと評してはもっとも不届《ふとど》きである。善は行い難い、徳は施《ほど》こしにくい、節操は守り安からぬ、義のために命を捨てるのは惜しい。これらをあえてするのは何人《なんびと》に取っても苦痛である。その苦痛を冒《おか》すためには、苦痛に打ち勝つだけの愉快がどこかに潜《ひそ》んでおらねばならん。画と云うも、詩と云うも、あるは芝居と云うも、この悲酸《ひさん》のうちに籠《こも》る快感の別号に過ぎん。この趣《おもむ》きを解し得て、始めて吾人《ごじん》の所作は壮烈にもなる、
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