A一本の敷島《しきしま》をゆたかに吹かしたるときの余の観想は以上のごとくである。日は霞《かすみ》を離れて高く上《のぼ》っている。障子《しょうじ》をあけて、後《うし》ろの山を眺《なが》めたら、蒼《あお》い樹《き》が非常にすき通って、例になく鮮《あざ》やかに見えた。
余は常に空気と、物象と、彩色の関係を宇宙《よのなか》でもっとも興味ある研究の一と考えている。色を主にして空気を出すか、物を主にして、空気をかくか。または空気を主にしてそのうちに色と物とを織り出すか。画は少しの気合《きあい》一つでいろいろな調子が出る。この調子は画家自身の嗜好《しこう》で異なってくる。それは無論であるが、時と場所とで、自《おの》ずから制限されるのもまた当前《とうぜん》である。英国人のかいた山水《さんすい》に明るいものは一つもない。明るい画が嫌《きらい》なのかも知れぬが、よし好きであっても、あの空気では、どうする事も出来ない。同じ英人でもグーダルなどは色の調子がまるで違う。違うはずである。彼は英人でありながら、かつて英国の景色《けいしょく》をかいた事がない。彼の画題は彼の郷土にはない。彼の本国に比すると、空気の透
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