B小手板《こていた》を握る事は出来る。しかし画工にはなれない。こうやって、名も知らぬ山里へ来て、暮れんとする春色《しゅんしょく》のなかに五尺の痩躯《そうく》を埋《うず》めつくして、始めて、真の芸術家たるべき態度に吾身を置き得るのである。一たびこの境界《きょうがい》に入れば美の天下はわが有に帰する。尺素《せきそ》を染めず、寸※[#「糸+賺のつくり」、第3水準1−90−17]《すんけん》を塗らざるも、われは第一流の大画工である。技《ぎ》において、ミケルアンゼロに及ばず、巧《たく》みなる事ラフハエルに譲る事ありとも、芸術家たるの人格において、古今の大家と歩武《ほぶ》を斉《ひとし》ゅうして、毫《ごう》も遜《ゆず》るところを見出し得ない。余はこの温泉場へ来てから、まだ一枚の画《え》もかかない。絵の具箱は酔興《すいきょう》に、担《かつ》いできたかの感さえある。人はあれでも画家かと嗤《わら》うかもしれぬ。いくら嗤われても、今の余は真の画家である。立派な画家である。こう云う境《きょう》を得たものが、名画をかくとは限らん。しかし名画をかき得る人は必ずこの境を知らねばならん。
 朝飯《あさめし》をすまして
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