sxに芸術家の態度を具足したるものなりとは、オスカー・ワイルドの説と記憶している。基督は知らず。観海寺の和尚《おしょう》のごときは、まさしくこの資格を有していると思う。趣味があると云う意味ではない。時勢に通じていると云う訳でもない。彼は画《え》と云う名のほとんど下《くだ》すべからざる達磨《だるま》の幅《ふく》を掛けて、ようできたなどと得意である。彼は画工《えかき》に博士があるものと心得ている。彼は鳩の眼を夜でも利《き》くものと思っている。それにも関《かか》わらず、芸術家の資格があると云う。彼の心は底のない嚢《ふくろ》のように行き抜けである。何にも停滞《ていたい》しておらん。随処《ずいしょ》に動き去り、任意《にんい》に作《な》し去って、些《さ》の塵滓《じんし》の腹部に沈澱《ちんでん》する景色《けしき》がない。もし彼の脳裏《のうり》に一点の趣味を貼《ちょう》し得たならば、彼は之《ゆ》く所に同化して、行屎走尿《こうしそうにょう》の際にも、完全たる芸術家として存在し得るだろう。余のごときは、探偵に屁《へ》の数を勘定《かんじょう》される間は、とうてい画家にはなれない。画架《がか》に向う事は出来る
前へ
次へ
全217ページ中182ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング