A持ち切れぬ雨の糸を、しめやかに落し出して、女の影を、蕭々《しょうしょう》と封じ了《おわ》る。
七
寒い。手拭《てぬぐい》を下げて、湯壺《ゆつぼ》へ下《くだ》る。
三畳へ着物を脱いで、段々を、四つ下りると、八畳ほどな風呂場へ出る。石に不自由せぬ国と見えて、下は御影《みかげ》で敷き詰めた、真中を四尺ばかりの深さに掘り抜いて、豆腐屋《とうふや》ほどな湯槽《ゆぶね》を据《す》える。槽《ふね》とは云うもののやはり石で畳んである。鉱泉と名のつく以上は、色々な成分を含んでいるのだろうが、色が純透明だから、入《はい》り心地《ごこち》がよい。折々は口にさえふくんで見るが別段の味も臭《におい》もない。病気にも利《き》くそうだが、聞いて見ぬから、どんな病に利くのか知らぬ。もとより別段の持病もないから、実用上の価値はかつて頭のなかに浮んだ事がない。ただ這入《はい》る度に考え出すのは、白楽天《はくらくてん》の温泉《おんせん》水滑《みずなめらかにして》洗凝脂《ぎょうしをあらう》と云う句だけである。温泉と云う名を聞けば必ずこの句にあらわれたような愉快な気持になる。またこの気持を出し得ぬ温泉
前へ
次へ
全217ページ中109ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング