Bラオコーンなどは大概忘れているのだから、よく調べたら、こっちが怪しくなるかも知れない。とにかく、画《え》にしそくなったから、一つ詩にして見よう、と写生帖の上へ、鉛筆を押しつけて、前後に身をゆすぶって見た。しばらくは、筆の先の尖《と》がった所を、どうにか運動させたいばかりで、毫《ごう》も運動させる訳《わけ》に行かなかった。急に朋友《ほうゆう》の名を失念して、咽喉《のど》まで出かかっているのに、出てくれないような気がする。そこで諦《あきら》めると、出損《でそく》なった名は、ついに腹の底へ収まってしまう。
葛湯《くずゆ》を練るとき、最初のうちは、さらさらして、箸《はし》に手応《てごたえ》がないものだ。そこを辛抱《しんぼう》すると、ようやく粘着《ねばり》が出て、攪《か》き淆《ま》ぜる手が少し重くなる。それでも構わず、箸を休ませずに廻すと、今度は廻し切れなくなる。しまいには鍋《なべ》の中の葛が、求めぬに、先方から、争って箸に附着してくる。詩を作るのはまさにこれだ。
手掛《てがか》りのない鉛筆が少しずつ動くようになるのに勢を得て、かれこれ二三十分したら、
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青春二三月。
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