ニ感ずる心裏《しんり》の状況には時間はあるかも知れないが、時間の流れに沿うて、逓次《ていじ》に展開すべき出来事の内容がない。一が去り、二が来《きた》り、二が消えて三が生まるるがために嬉《うれ》しいのではない。初から窈然《ようぜん》として同所《どうしょ》に把住《はじゅう》する趣《おもむ》きで嬉しいのである。すでに同所に把住する以上は、よしこれを普通の言語に翻訳したところで、必ずしも時間的に材料を按排《あんばい》する必要はあるまい。やはり絵画と同じく空間的に景物を配置したのみで出来るだろう。ただいかなる景情《けいじょう》を詩中に持ち来って、この曠然《こうぜん》として倚托《きたく》なき有様を写すかが問題で、すでにこれを捕《とら》え得た以上はレッシングの説に従わんでも詩として成功する訳だ。ホーマーがどうでも、ヴァージルがどうでも構わない。もし詩が一種のムードをあらわすに適しているとすれば、このムードは時間の制限を受けて、順次に進捗《しんちょく》する出来事の助けを藉《か》らずとも、単純に空間的なる絵画上の要件を充《み》たしさえすれば、言語をもって描《えが》き得るものと思う。
議論はどうでもよい
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