S柵外にも自由を擅にしたくなるのは自然の勢《いきおい》である。憐《あわれ》むべき文明の国民は日夜にこの鉄柵に噛《か》みついて咆哮《ほうこう》している。文明は個人に自由を与えて虎《とら》のごとく猛《たけ》からしめたる後、これを檻穽《かんせい》の内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人を睨《にら》めて、寝転《ねころ》んでいると同様な平和である。檻《おり》の鉄棒が一本でも抜けたら――世はめちゃめちゃになる。第二の仏蘭西革命《フランスかくめい》はこの時に起るのであろう。個人の革命は今すでに日夜《にちや》に起りつつある。北欧の偉人イブセンはこの革命の起るべき状態についてつぶさにその例証を吾人《ごじん》に与えた。余は汽車の猛烈に、見界《みさかい》なく、すべての人を貨物同様に心得て走る様《さま》を見るたびに、客車のうちに閉《と》じ籠《こ》められたる個人と、個人の個性に寸毫《すんごう》の注意をだに払わざるこの鉄車《てっしゃ》とを比較して、――あぶない、あぶない。気をつけねばあぶないと思う。現代の文明はこのあぶないで鼻を衝《つ》かれるくらい充満している。おさき真闇《まっくら》に盲動《もうどう》する汽車はあぶない標本の一つである。
 停車場《ステーション》前の茶店に腰を下ろして、蓬餅《よもぎもち》を眺《なが》めながら汽車論を考えた。これは写生帖へかく訳にも行かず、人に話す必要もないから、だまって、餅を食いながら茶を飲む。
 向うの床几《しょうぎ》には二人かけている。等しく草鞋穿《わらじば》きで、一人は赤毛布《あかげっと》、一人は千草色《ちくさいろ》の股引《ももひき》の膝頭《ひざがしら》に継布《つぎ》をあてて、継布のあたった所を手で抑えている。
「やっぱり駄目かね」
「駄目さあ」
「牛のように胃袋が二つあると、いいなあ」
「二つあれば申し分はなえさ、一つが悪《わ》るくなりゃ、切ってしまえば済むから」
 この田舎者《いなかもの》は胃病と見える。彼らは満洲の野に吹く風の臭《にお》いも知らぬ。現代文明の弊《へい》をも見認《みと》めぬ。革命とはいかなるものか、文字さえ聞いた事もあるまい。あるいは自己の胃袋が一つあるか二つあるかそれすら弁じ得んだろう。余は写生帖を出して、二人の姿を描《か》き取った。
 じゃらんじゃらんと号鈴《ベル》が鳴る。切符《き
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