「》につながれている。不即不離《ふそくふり》とはこの刹那《せつな》の有様を形容すべき言葉と思う。女は前を引く態度で、男は後《しり》えに引かれた様子だ。しかもそれが実際に引いてもひかれてもおらん。両者の縁《えん》は紫の財布の尽くる所で、ふつりと切れている。
二人の姿勢がかくのごとく美妙《びみょう》な調和を保《たも》っていると同時に、両者の顔と、衣服にはあくまで、対照が認められるから、画として見ると一層の興味が深い。
背《せ》のずんぐりした、色黒の、髯《ひげ》づらと、くっきり締《しま》った細面《ほそおもて》に、襟《えり》の長い、撫肩《なでがた》の、華奢《きゃしゃ》姿。ぶっきらぼうに身をひねった下駄がけの野武士と、不断着《ふだんぎ》の銘仙《めいせん》さえしなやかに着こなした上、腰から上を、おとなしく反《そ》り身に控えたる痩形《やさすがた》。はげた茶の帽子に、藍縞《あいじま》の尻切《しりき》り出立《でだ》ちと、陽炎《かげろう》さえ燃やすべき櫛目《くしめ》の通った鬢《びん》の色に、黒繻子《くろじゅす》のひかる奥から、ちらりと見せた帯上《おびあげ》の、なまめかしさ。すべてが好画題《こうがだい》である。
男は手を出して財布を受け取る。引きつ引かれつ巧《たく》みに平均を保ちつつあった二人の位置はたちまち崩《くず》れる。女はもう引かぬ、男は引かりょうともせぬ。心的状態が絵を構成する上に、かほどの影響を与えようとは、画家ながら、今まで気がつかなかった。
二人は左右へ分かれる。双方に気合《きあい》がないから、もう画としては、支離滅裂《しりめつれつ》である。雑木林《ぞうきばやし》の入口で男は一度振り返った。女は後《あと》をも見ぬ。すらすらと、こちらへ歩行《あるい》てくる。やがて余の真正面《ましょうめん》まで来て、
「先生、先生」
と二声《ふたこえ》掛けた。これはしたり、いつ目付《めっ》かったろう。
「何です」
と余は木瓜《ぼけ》の上へ顔を出す。帽子は草原へ落ちた。
「何をそんな所でしていらっしゃる」
「詩を作って寝《ね》ていました」
「うそをおっしゃい。今のを御覧でしょう」
「今の? 今の、あれですか。ええ。少々拝見しました」
「ホホホホ少々でなくても、たくさん御覧なさればいいのに」
「実のところはたくさん拝見しました」
「それ御覧なさい。まあちょっと、こっちへ出ていらっしゃい。木
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