ゥ》されて、夜と昼との境のごとき心地《ここち》である。女はもとより夜と昼との境をあるいている。
この長い振袖を着て、長い廊下を何度往き何度戻る気か、余には解からぬ。いつ頃からこの不思議な装《よそおい》をして、この不思議な歩行《あゆみ》をつづけつつあるかも、余には解らぬ。その主意に至ってはもとより解らぬ。もとより解るべきはずならぬ事を、かくまでも端正に、かくまでも静粛に、かくまでも度を重ねて繰り返す人の姿の、入口にあらわれては消え、消えてはあらわるる時の余の感じは一種異様である。逝《ゆ》く春の恨《うらみ》を訴うる所作《しょさ》ならば何が故《ゆえ》にかくは無頓着《むとんじゃく》なる。無頓着なる所作ならば何が故にかくは綺羅《きら》を飾れる。
暮れんとする春の色の、嬋媛《せんえん》として、しばらくは冥※[#「しんにょう+貌」、第3水準1−92−58]《めいばく》の戸口をまぼろしに彩《いろ》どる中に、眼も醒《さ》むるほどの帯地《おびじ》は金襴《きんらん》か。あざやかなる織物は往きつ、戻りつ蒼然《そうぜん》たる夕べのなかにつつまれて、幽闃《ゆうげき》のあなた、遼遠《りょうえん》のかしこへ一分ごとに消えて去る。燦《きら》めき渡る春の星の、暁《あかつき》近くに、紫深き空の底に陥《おち》いる趣《おもむき》である。
太玄《たいげん》の※[#「門<昏」、第3水準1−93−52]《もん》おのずから開《ひら》けて、この華《はな》やかなる姿を、幽冥《ゆうめい》の府《ふ》に吸い込まんとするとき、余はこう感じた。金屏《きんびょう》を背に、銀燭《ぎんしょく》を前に、春の宵の一刻を千金と、さざめき暮らしてこそしかるべきこの装《よそおい》の、厭《いと》う景色《けしき》もなく、争う様子も見えず、色相《しきそう》世界から薄れて行くのは、ある点において超自然の情景である。刻々と逼《せま》る黒き影を、すかして見ると女は粛然として、焦《せ》きもせず、狼狽《うろたえ》もせず、同じほどの歩調をもって、同じ所を徘徊《はいかい》しているらしい。身に落ちかかる災《わざわい》を知らぬとすれば無邪気の極《きわみ》である。知って、災と思わぬならば物凄《ものすご》い。黒い所が本来の住居《すまい》で、しばらくの幻影《まぼろし》を、元《もと》のままなる冥漠《めいばく》の裏《うち》に収めればこそ、かように間※[#「(靜−爭)+見」
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