A第3水準1−93−75]《かんせい》の態度で、有《う》と無《む》の間《あいだ》に逍遥《しょうよう》しているのだろう。女のつけた振袖に、紛《ふん》たる模様の尽きて、是非もなき磨墨《するすみ》に流れ込むあたりに、おのが身の素性《すじょう》をほのめかしている。
またこう感じた。うつくしき人が、うつくしき眠りについて、その眠りから、さめる暇もなく、幻覚《うつつ》のままで、この世の呼吸《いき》を引き取るときに、枕元に病《やまい》を護《まも》るわれらの心はさぞつらいだろう。四苦八苦を百苦に重ねて死ぬならば、生甲斐《いきがい》のない本人はもとより、傍《はた》に見ている親しい人も殺すが慈悲と諦《あき》らめられるかも知れない。しかしすやすやと寝入る児に死ぬべき何の科《とが》があろう。眠りながら冥府《よみ》に連れて行かれるのは、死ぬ覚悟をせぬうちに、だまし打ちに惜しき一命を果《はた》すと同様である。どうせ殺すものなら、とても逃《のが》れぬ定業《じょうごう》と得心もさせ、断念もして、念仏を唱《とな》えたい。死ぬべき条件が具《そな》わらぬ先に、死ぬる事実のみが、ありありと、確かめらるるときに、南無阿弥陀仏《なむあみだぶつ》と回向《えこう》をする声が出るくらいなら、その声でおういおういと、半ばあの世へ足を踏み込んだものを、無理にも呼び返したくなる。仮《か》りの眠りから、いつの間《ま》とも心づかぬうちに、永い眠りに移る本人には、呼び返される方が、切れかかった煩悩《ぼんのう》の綱をむやみに引かるるようで苦しいかも知れぬ。慈悲だから、呼んでくれるな、穏《おだや》かに寝かしてくれと思うかも知れぬ。それでも、われわれは呼び返したくなる。余は今度女の姿が入口にあらわれたなら、呼びかけて、うつつの裡《うち》から救ってやろうかと思った。しかし夢のように、三尺の幅を、すうと抜ける影を見るや否《いな》や、何だか口が聴《き》けなくなる。今度はと心を定めているうちに、すうと苦もなく通ってしまう。なぜ何とも云えぬかと考うる途端《とたん》に、女はまた通る。こちらに窺《うかが》う人があって、その人が自分のためにどれほどやきもき思うているか、微塵《みじん》も気に掛からぬ有様で通る。面倒にも気の毒にも、初手《しょて》から、余のごときものに、気をかねておらぬ有様で通る。今度は今度はと思うているうちに、こらえかねた、雲の層が
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