D随芳草長。閑花落空庭。素琴横虚堂。※[#「虫+蕭」、第4水準2−87−94]蛸掛不動。篆煙繞竹梁。
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と云う六句だけ出来た。読み返して見ると、みな画になりそうな句ばかりである。これなら始めから、画にすればよかったと思う。なぜ画よりも詩の方が作り易《やす》かったかと思う。ここまで出たら、あとは大した苦もなく出そうだ。しかし画に出来ない情《じょう》を、次には咏《うた》って見たい。あれか、これかと思い煩《わずら》った末とうとう、
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独坐無隻語。方寸認微光。人間徒多事。此境孰可忘。会得一日静。正知百年忙。遐懐寄何処。緬※[#「しんにょう+貌」、第3水準1−92−58]白雲郷。
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と出来た。もう一返《いっぺん》最初から読み直して見ると、ちょっと面白く読まれるが、どうも、自分が今しがた入《はい》った神境を写したものとすると、索然《さくぜん》として物足りない。ついでだから、もう一首作って見ようかと、鉛筆を握ったまま、何の気もなしに、入口の方を見ると、襖《ふすま》を引いて、開《あ》け放《はな》った幅三尺の空間をちらりと、奇麗な影が通った。はてな。
余が眼を転じて、入口を見たときは、奇麗なものが、すでに引き開けた襖の影に半分かくれかけていた。しかもその姿は余が見ぬ前から、動いていたものらしく、はっと思う間に通り越した。余は詩をすてて入口を見守る。
一分と立たぬ間に、影は反対の方から、逆にあらわれて来た。振袖姿《ふりそですがた》のすらりとした女が、音もせず、向う二階の椽側《えんがわ》を寂然《じゃくねん》として歩行《あるい》て行く。余は覚えず鉛筆を落して、鼻から吸いかけた息をぴたりと留めた。
花曇《はなぐも》りの空が、刻一刻に天から、ずり落ちて、今や降ると待たれたる夕暮の欄干《らんかん》に、しとやかに行き、しとやかに帰る振袖の影は、余が座敷から六|間《けん》の中庭を隔てて、重き空気のなかに蕭寥《しょうりょう》と見えつ、隠れつする。
女はもとより口も聞かぬ。傍目《わきめ》も触《ふ》らぬ。椽《えん》に引く裾《すそ》の音さえおのが耳に入らぬくらい静かに歩行《ある》いている。腰から下にぱっと色づく、裾模様《すそもよう》は何を染め抜いたものか、遠くて解《わ》からぬ。ただ無地《むじ》と模様のつながる中が、おのずから暈《ぼ
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