だに相応の手数はかゝるべし、況《ま》して国に言語の相違あり、人に上下の区別ありて、同一の事物も種々の記号を有して、吾人《ごじん》の面目を燎爛《れうらん》せんとするこそ益《ます/\》面倒なれ、比較するだに畏《かしこ》けれど、万乗には之を崩御《ほうぎよ》といひ、匹夫《ひつぷ》には之を「クタバル」といひ、鳥には落ちるといひ、魚には上がるといひて、而《しか》も死は即《すなは》ち一なるが如し、若《も》し人生をとつて銖分縷析《しゆぶんるせき》するを得ば、天上の星と磯《いそ》の真砂《まさご》の数も容易に計算し得べし
 小説は此錯雑なる人生の一側面を写すものなり、一側面|猶《なほ》且《かつ》単純ならず、去れども写して神《しん》に入るときは、事物の紛糾《ふんきう》乱雑なるものを綜合して一の哲理を数ふるに足る、われ「エリオツト」の小説を読んで天性の悪人なき事を知りぬ、又罪を犯すものの恕《ゆる》すべくして且|憐《あはれ》むべきを知りぬ、一挙手一投足わが運命に関係あるを知りぬ、「サツカレー」の小説を読んで正直なるものの馬鹿らしきを知りぬ、狡猾《かうくわつ》奸佞《かんねい》なるものの世に珍重せらるべきを知りぬ、
前へ 次へ
全11ページ中3ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング