て、己等《おのれら》亦|曾《かつ》て狂気せる事あるを自認せざる可《べ》からず、又|何時《いつ》にても狂気し得る資格を有する動物なる事を承知せざるべからず、人|豈《あに》自ら知らざらんやとは支那の豪傑の語なり、人々自ら知らば固《もと》より文句はなきなり、人を指して馬鹿といふ、是れ己が利口なるの時に於て発するの批評なり、己も亦何時にても馬鹿の仲間入りをするに充分なる可能力を具備するに気が付かぬものの批評なり、局に当る者は迷ひ、傍観するものは嗤《わら》ふ、而も傍観者必ずしも棊《き》を能くせざるを如何《いかん》せん、自ら知るの明あるもの寡《すく》なしとは世ヤにて云ふ事なり、われは人間に自知の明なき事を断言せんとす、之を「ポー」に聞く、曰《いは》く、功名眼前にあり、人々何ぞ直ちに自己の胸臆を叙して思ひのまゝを言はざる、去れど人ありて思《おもひ》の儘《まゝ》を書かんとして筆を執《と》れば、筆忽ち禿《とく》し、紙を展《の》ぶれば紙忽ち縮む、芳声《はうせい》嘉誉《かよ》の手に唾《つば》して得らるべきを知りながら、何人《なんびと》も※[#「足へん+厨」、第3水準1−92−39]躇《ちゆうちよ》して果たさざるは是が為なりと、人|豈《あに》自ら知らざらんや、「ポー」の言を反覆熟読せば、思|半《なか》ばに過ぎん、蓋《けだ》し人は夢を見るものなり、思ひも寄らぬ夢を見るものなり、覚めて後冷汗背に洽《あまね》く、茫然自失する事あるものなり、夢ならばと一笑に附し去るものは、一を知つて二を知らぬものなり、夢は必ずしも夜中臥床の上にのみ見舞に来るものにあらず、青天にも白日にも来り、大道の真中にても来り、衣冠束帯の折だに容赦なく闥《たつ》を排して闖入《ちんにふ》し来る、機微の際|忽然《こつぜん》として吾人を愧死《きし》せしめて、其来る所|固《もと》より知り得べからず、其去る所亦尋ね難し、而も人生の真相は半ば此夢中にあつて隠約たるものなり、此自己の真相を発揮するは即ち名誉を得るの捷径《せふけい》にして、此捷径に従ふは卑怯《ひけふ》なる人類にとりて無上の難関なり、願はくば人|豈《あに》自ら知らざらんや抔《など》いふものをして、誠実に其心の歴史を書かしめん、彼必ず自ら知らざるに驚かん
 三陸の海嘯《つなみ》濃尾《のうび》の地震之を称して天災といふ、天災とは人意の如何《いかん》ともすべからざるもの、人間の行為は
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