だに相応の手数はかゝるべし、況《ま》して国に言語の相違あり、人に上下の区別ありて、同一の事物も種々の記号を有して、吾人《ごじん》の面目を燎爛《れうらん》せんとするこそ益《ます/\》面倒なれ、比較するだに畏《かしこ》けれど、万乗には之を崩御《ほうぎよ》といひ、匹夫《ひつぷ》には之を「クタバル」といひ、鳥には落ちるといひ、魚には上がるといひて、而《しか》も死は即《すなは》ち一なるが如し、若《も》し人生をとつて銖分縷析《しゆぶんるせき》するを得ば、天上の星と磯《いそ》の真砂《まさご》の数も容易に計算し得べし
小説は此錯雑なる人生の一側面を写すものなり、一側面|猶《なほ》且《かつ》単純ならず、去れども写して神《しん》に入るときは、事物の紛糾《ふんきう》乱雑なるものを綜合して一の哲理を数ふるに足る、われ「エリオツト」の小説を読んで天性の悪人なき事を知りぬ、又罪を犯すものの恕《ゆる》すべくして且|憐《あはれ》むべきを知りぬ、一挙手一投足わが運命に関係あるを知りぬ、「サツカレー」の小説を読んで正直なるものの馬鹿らしきを知りぬ、狡猾《かうくわつ》奸佞《かんねい》なるものの世に珍重せらるべきを知りぬ、「ブロンテ」の小説を読んで人に感応あることを知りぬ、蓋《けだ》し小説に境遇を叙するものあり、品性を写すものあり、心理上の解剖を試むるものあり、直覚的に人世を観破するものあり、四者各其方面に向つて吾人に教ふる所なきにあらず、然れども人生は心理的解剖を以て終結するものにあらず、又直覚を以て観破し了《おほ》すべきにあらず、われは人生に於て是等《これら》以外に一種不可思議のものあるべきを信ず、所謂《いはゆる》不可思議とは「カツスル、オフ、オトラントー」の中の出来事にあらず、「タムオーシヤンター」を追《おひ》懸《か》けたる妖怪にあらず、「マクベス」の眼前に見《あら》はるゝ幽霊にあらず、「ホーソーン」の文「コルリツヂ」の詩中に入るべき人物の謂《いひ》にあらず、われ手を振り目を揺《うご》かして、而も其の何の故に手を振り目を揺かすかを知らず、因果の大法を蔑《ないがしろ》にし、自己の意思を離れ、卒然として起り、驀地《ばくち》に来るものを謂《い》ふ、世俗之を名づけて狂気と呼ぶ、狂気と呼ぶ固《もと》より不可なし、去れども此種の所為を目して狂気となす者共は、他人に対してかゝる不敬の称号を呈するに先《さきだ》つ
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