や》っていた。すれっからしであった。(悪い意味でいうのでは無い。)
又彼には政治家的のアムビションがあった。それで頻《しき》りに演説などをもやった。敢《あえ》て謹聴するに足る程の能弁でも無いのに、よくのさばり出て遣った。つまらないから僕等聞いてもいないが、先生得意になってやる。
何でも大将にならなけりゃ承知しない男であった。二人で道を歩いていても、きっと自分の思う通りに僕をひっぱり廻したものだ。尤《もっと》も僕がぐうたらであって、こちらへ行こうと彼がいうと其通りにして居った為であったろう。
一時正岡が易《えき》を立ててやるといって、これも頼みもしないのに占《うらな》ってくれた。畳一畳位の長さの巻紙に何か書いて来た。何でも僕は教育家になって何《ど》うとかするという事が書いてあって、外《ほか》に女の事も何か書いてあった。これは冷かしであった。一体正岡は無暗《むやみ》に手紙をよこした男で、それに対する分量は、こちらからも遣った。今は残っていないが、孰《いず》れも愚《ぐ》なものであったに相違ない。
底本:「筑摩全集類聚版 夏目漱石全集 10」筑摩書房
1972(昭和47)年
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