で、どのくらいの月日を空《くう》に暮らしたものだろう、それを訊《き》かれるとまるで分らないが、何でも或夜こんな事があった。
 私がひとり座敷に寝ていると、枕元の所で小さな声を出して、しきりに私の名を呼ぶものがある。私は驚ろいて眼を覚《さ》ましたが、周囲《あたり》が真暗《まっくら》なので、誰がそこに蹲踞《うずくま》っているのか、ちょっと判断がつかなかった。けれども私は小供だからただじっとして先方の云う事だけを聞いていた。すると聞いているうちに、それが私の家《うち》の下女の声である事に気がついた。下女は暗い中で私に耳語《みみこすり》をするようにこういうのである。――
「あなたが御爺さん御婆さんだと思っていらっしゃる方は、本当はあなたの御父《おとっ》さんと御母《おっか》さんなのですよ。先刻《さっき》ね、おおかたそのせいであんなにこっちの宅《うち》が好なんだろう、妙なものだな、と云って二人で話していらしったのを私が聞いたから、そっとあなたに教えて上げるんですよ。誰にも話しちゃいけませんよ。よござんすか」
 私はその時ただ「誰にも云わないよ」と云ったぎりだったが、心の中《うち》では大変嬉しかった。そうしてその嬉しさは事実を教えてくれたからの嬉しさではなくって、単に下女が私に親切だったからの嬉しさであった。不思議にも私はそれほど嬉しく思った下女の名も顔もまるで忘れてしまった。覚えているのはただその人の親切だけである。

        三十

 私がこうして書斎に坐《すわ》っていると、来る人の多くが「もう御病気はすっかり御癒《おなお》りですか」と尋ねてくれる。私は何度も同じ質問を受けながら、何度も返答に躊躇《ちゅうちょ》した。そうしてその極《きょく》いつでも同じ言葉を繰《く》り返《かえ》すようになった。それは「ええまあどうかこうか生きています」という変な挨拶《あいさつ》に異《こと》ならなかった。
 どうかこうか生きている。――私はこの一句を久しい間使用した。しかし使用するごとに、何だか不穏当《ふおんとう》な心持がするので、自分でも実はやめられるならばと思って考えてみたが、私の健康状態を云い現わすべき適当な言葉は、他《た》にどうしても見つからなかった。
 ある日T君が来たから、この話をして、癒《なお》ったとも云えず、癒らないとも云えず、何と答えて好いか分らないと語ったら、T君はすぐ私にこんな返事をした。
「そりゃ癒ったとは云われませんね。そう時々再発するようじゃ。まあもとの病気の継続なんでしょう」
 この継続という言葉を聞いた時、私は好い事を教えられたような気がした。それから以後は、「どうかこうか生きています」という挨拶《あいさつ》をやめて、「病気はまだ継続中です」と改ためた。そうしてその継続の意味を説明する場合には、必ず欧洲の大乱を引合《ひきあい》に出した。
「私はちょうど独乙《ドイツ》が聯合軍《れんごうぐん》と戦争をしているように、病気と戦争をしているのです。今こうやってあなたと対坐していられるのは、天下が太平になったからではないので、塹壕《ざんごう》の中《うち》に這入《はい》って、病気と睨《にら》めっくらをしているからです。私の身体《からだ》は乱世です。いつどんな変《へん》が起らないとも限りません」
 或人は私の説明を聞いて、面白そうにははと笑った。或人は黙っていた。また或人は気の毒らしい顔をした。
 客の帰ったあとで私はまた考えた。――継続中のものはおそらく私の病気ばかりではないだろう。私の説明を聞いて、笑談《じょうだん》だと思って笑う人、解らないで黙っている人、同情の念に駆《か》られて気の毒らしい顔をする人、――すべてこれらの人の心の奥には、私の知らない、また自分達さえ気のつかない、継続中のものがいくらでも潜《ひそ》んでいるのではなかろうか。もし彼らの胸に響くような大きな音で、それが一度に破裂したら、彼らははたしてどう思うだろう。彼らの記憶はその時もはや彼らに向って何物をも語らないだろう。過去の自覚はとくに消えてしまっているだろう。今と昔とまたその昔の間に何らの因果を認める事のできない彼らは、そういう結果に陥《おちい》った時、何と自分を解釈して見る気だろう。所詮《しょせん》我々は自分で夢の間《ま》に製造した爆裂弾を、思い思いに抱《いだ》きながら、一人残らず、死という遠い所へ、談笑しつつ歩いて行くのではなかろうか。ただどんなものを抱《だ》いているのか、他《ひと》も知らず自分も知らないので、仕合せなんだろう。
 私は私の病気が継続であるという事に気がついた時、欧洲の戦争もおそらくいつの世からかの継続だろうと考えた。けれども、それがどこからどう始まって、どう曲折して行くかの問題になると全く無知識なので、継続という言葉を解しない一般の人を、私はかえって羨《うらや》ましく思っている。

        三十一

 私がまだ小学校に行っていた時分に、喜《き》いちゃんという仲の好い友達があった。喜いちゃんは当時|中町《なかちょう》の叔父さんの宅《うち》にいたので、そう道程《みちのり》の近くない私の所からは、毎日会いに行く事が出来|悪《にく》かった。私はおもに自分の方から出かけないで、喜いちゃんの来るのを宅で待っていた。喜いちゃんはいくら私が行かないでも、きっと向うから来るにきまっていた。そうしてその来る所は、私の家の長屋を借りて、紙や筆を売る松さんの許《もと》であった。
 喜いちゃんには父母《ちちはは》がないようだったが、小供の私には、それがいっこう不思議とも思われなかった。おそらく訊《き》いて見た事もなかったろう。したがって喜いちゃんがなぜ松さんの所へ来るのか、その訳さえも知らずにいた。これはずっと後で聞いた話であるが、この喜いちゃんの御父《おとっ》さんというのは、昔《むか》し銀座の役人か何かをしていた時、贋金《にせがね》を造ったとかいう嫌疑《けんぎ》を受けて、入牢《じゅうろう》したまま死んでしまったのだという。それであとに取り残された細君が、喜いちゃんを先夫《せんぷ》の家へ置いたなり、松さんの所へ再縁したのだから、喜いちゃんが時々|生《うみ》の母に会いに来るのは当り前の話であった。
 何にも知らない私は、この事情を聞いた時ですら、別段変な感じも起さなかったくらいだから、喜いちゃんとふざけまわって遊ぶ頃に、彼の境遇などを考えた事はただの一度もなかった。
 喜いちゃんも私も漢学が好きだったので、解りもしない癖《くせ》に、よく文章の議論などをして面白がった。彼はどこから聴いてくるのか、調べてくるのか、よくむずかしい漢籍の名前などを挙《あ》げて、私を驚ろかす事が多かった。
 彼はある日私の部屋同様になっている玄関に上り込んで、懐《ふところ》から二冊つづきの書物を出して見せた。それは確《たしか》に写本であった。しかも漢文で綴《つづ》ってあったように思う。私は喜いちゃんから、その書物を受け取って、無意味にそこここを引《ひ》っ繰返《くりかえ》して見ていた。実は何が何だか私にはさっぱり解らなかったのである。しかし喜いちゃんは、それを知ってるかなどと露骨な事をいう性質《たち》ではなかった。
「これは太田南畝《おおたなんぼ》の自筆なんだがね。僕の友達がそれを売りたいというので君に見せに来たんだが、買ってやらないか」
 私は太田南畝という人を知らなかった。
「太田南畝っていったい何だい」
「蜀山人《しょくさんじん》の事さ。有名な蜀山人さ」
 無学な私は蜀山人という名前さえまだ知らなかった。しかし喜いちゃんにそう云われて見ると、何だか貴重の書物らしい気がした。
「いくらなら売るのかい」と訊《き》いて見た。
「五十銭に売りたいと云うんだがね。どうだろう」
 私は考えた。そうして何しろ価切《ねぎ》って見るのが上策だと思いついた。
「二十五銭なら買っても好い」
「それじゃ二十五銭でも構わないから、買ってやりたまえ」
 喜いちゃんはこう云いつつ私から二十五銭受取っておいて、またしきりにその本の効能を述べ立てた。私には無論その書物が解らないのだから、それほど嬉《うれ》しくもなかったけれども、何しろ損はしないだろうというだけの満足はあった。私はその夜|南畝莠言《なんぽしゆうげん》――たしかそんな名前だと記憶しているが、それを机の上に載せて寝た。

        三十二

 翌日《あくるひ》になると、喜いちゃんがまたぶらりとやって来た。
「君|昨日《きのう》買って貰った本の事だがね」
 喜いちゃんはそれだけ云って、私の顔を見ながらぐずぐずしている。私は机の上に載せてあった書物に眼を注いだ。
「あの本かい。あの本がどうかしたのかい」
「実はあすこの宅《うち》の阿爺《おやじ》に知れたものだから、阿爺が大変怒ってね。どうか返して貰って来てくれって僕に頼むんだよ。僕も一遍君に渡したもんだから厭《いや》だったけれども仕方がないからまた来たのさ」
「本を取りにかい」
「取りにって訳でもないけれども、もし君の方で差支《さしつかえ》がないなら、返してやってくれないか。何しろ二十五銭じゃ安過ぎるっていうんだから」
 この最後の一言《いちごん》で、私は今まで安く買い得たという満足の裏に、ぼんやり潜《ひそ》んでいた不快、――不善の行為から起る不快――を判然《はっきり》自覚し始めた。そうして一方では狡猾《ずる》い私を怒《いか》ると共に、一方では二十五銭で売った先方を怒った。どうしてこの二つの怒りを同時に和《やわ》らげたものだろう。私は苦《にが》い顔をしてしばらく黙っていた。
 私のこの心理状態は、今の私が小供の時の自分を回顧して解剖するのだから、比較的|明瞭《めいりょう》に描き出されるようなものの、その場合の私にはほとんど解らなかった。私さえただ苦い顔をしたという結果だけしか自覚し得なかったのだから、相手の喜いちゃんには無論それ以上|解《わか》るはずがなかった。括弧《かっこ》の中でいうべき事かも知れないが、年齢《とし》を取った今日《こんにち》でも、私にはよくこんな現象が起ってくる。それでよく他《ひと》から誤解される。
 喜いちゃんは私の顔を見て、「二十五銭では本当に安過ぎるんだとさ」と云った。
 私はいきなり机の上に載せておいた書物を取って、喜いちゃんの前に突き出した。
「じゃ返そう」
「どうも失敬した。何しろ安公《やすこう》の持ってるものでないんだから仕方がない。阿爺《おやじ》の宅《うち》に昔からあったやつを、そっと売って小遣《こづかい》にしようって云うんだからね」
 私はぷりぷりして何とも答えなかった。喜いちゃんは袂《ふところ》から二十五銭出して私の前へ置きかけたが、私はそれに手を触れようともしなかった。
「その金なら取らないよ」
「なぜ」
「なぜでも取らない」
「そうか。しかしつまらないじゃないか、ただ本だけ返すのは。本を返すくらいなら二十五銭も取りたまいな」
 私はたまらなくなった。
「本は僕のものだよ。いったん買った以上は僕のものにきまってるじゃないか」
「そりゃそうに違いない。違いないが向《むこう》の宅《うち》でも困ってるんだから」
「だから返すと云ってるじゃないか。だけど僕は金を取る訳がないんだ」
「そんな解らない事を云わずに、まあ取っておきたまいな」
「僕はやるんだよ。僕の本だけども、欲しければやろうというんだよ。やるんだから本だけ持ってったら好いじゃないか」
「そうかそんなら、そうしよう」
 喜いちゃんは、とうとう本だけ持って帰った。そうして私は何の意味なしに二十五銭の小遣を取られてしまったのである。

        三十三

 世の中に住む人間の一人《いちにん》として、私は全く孤立して生存する訳に行かない。自然|他《ひと》と交渉の必要がどこからか起ってくる。時候の挨拶《あいさつ》、用談、それからもっと込《こ》み入《い》った懸合《かけあい》――これらから脱却する事は、いかに枯淡な生活を送っている私にもむずかしいのである。
 私は何でも他《ひと》のいう事を真《ま》
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