受けると、私が人のために働いてやるという余地、――今の私にはこの余地がまた極めて狭いのです。――その貴重な余地を腐蝕《ふしょく》させられたような心持になります」
 K君はまだ私の云う事を肯《うけが》わない様子であった。私も強情であった。
「もし岩崎とか三井とかいう大富豪に講演を頼むとした場合に、後から十円の御礼を持って行くでしょうか、あるいは失礼だからと云って、ただ挨拶《あいさつ》だけにとどめておくでしょうか。私の考ではおそらく金銭は持って行くまいと思うのですが」
「さあ」といっただけでK君は判然した返事を与えなかった。私にはまだ云う事が少し残っていた。
「己惚《おのぼれ》かは知りませんが、私の頭は三井岩崎に比《くら》べるほど富んでいないにしても、一般学生よりはずっと金持に違いないと信じています」
「そうですとも」とK君は首肯《うなず》いた。
「もし岩崎や三井に十円の御礼を持って行く事が失礼ならば、私の所へ十円の御礼を持って来るのも失礼でしょう。それもその十円が物質上私の生活に非常な潤沢《うるおい》を与えるなら、またほかの意味からこの問題を眺める事もできるでしょうが、現に私はそれを他《
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