て、父は母を叱りつけたそうである。
 その事があって以来、私の家では柱を切《き》り組《くみ》にして、その中へあり金を隠す方法を講じたが、隠すほどの財産もできず、また黒装束《くろそうぞく》を着けた泥棒も、それぎり来ないので、私の生長する時分には、どれが切組《きりくみ》にしてある柱かまるで分らなくなっていた。
 泥棒が出て行く時、「この家《うち》は大変|締《しま》りの好い宅《うち》だ」と云って賞《ほ》めたそうだが、その締りの好い家を泥棒に教えた小倉屋の半兵衛さんの頭には、あくる日から擦《かす》り傷《きず》がいくつとなくできた。これは金はありませんと断わるたびに、泥棒がそんなはずがあるものかと云っては、抜身の先でちょいちょい半兵衛さんの頭を突ッついたからだという。それでも半兵衛さんは、「どうしても宅《うち》にはありません、裏の夏目さんにはたくさんあるから、あすこへいらっしゃい」と強情を張り通して、とうとう金は一文も奪《と》られずにしまった。
 私はこの話を妻《さい》から聞いた。妻はまたそれを私の兄から茶受話《ちゃうけばなし》に聞いたのである。

        十五

 私が去年の十一月学習
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