しいのです。だから私が何か云ったら、腹に答えべき或物を持っている以上、けっして黙っていてはいけません。こんな事を云ったら笑われはしまいか、恥を掻《か》きはしまいか、または失礼だといって怒られはしまいかなどと遠慮して、相手に自分という正体を黒く塗り潰《つぶ》した所ばかり示す工夫《くふう》をするならば、私がいくらあなたに利益を与えようと焦慮《あせっ》ても、私の射る矢はことごとく空矢《あだや》になってしまうだけです。
「これは私のあなたに対する注文ですが、その代り私の方でもこの私というものを隠しは致しません。ありのままを曝《さら》け出《だ》すよりほかに、あなたを教える途《みち》はないのです。だから私の考えのどこかに隙《すき》があって、その隙をもしあなたから見破られたら、私はあなたに私の弱点を握られたという意味で敗北の結果に陥《おちい》るのです。教を受ける人だけが自分を開放する義務をもっていると思うのは間違っています。教える人も己《おの》れをあなたの前に打ち明けるのです。双方とも社交を離れて勘破《かんぱ》し合うのです。
「そういう訳で私はこれからあなたの書いたものを拝見する時に、ずいぶん手ひど
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