の頭を撫《な》でて見せた。私のは白くなって、彼のは薄く禿《は》げかかっているのである。
「人間も樺太《かばふと》まで行けば、もう行く先はなかろうな」と私が調戯《からか》うと、彼は「まあそんなものだ」と答えて、私のまだ見た事のない樺太の話をいろいろして聞かせた。しかし私は今それをみんな忘れてしまった。夏は大変好い所だという事を覚えているだけである。
私は幾年ぶりかで、彼といっしょに表へ出た。彼はフロックの上へ、とんび[#「とんび」に傍点]のような外套《がいとう》をぶわぶわに着ていた。そうして電車の中で釣革《つりかわ》にぶら下りながら、隠袋《かくし》から手帛《ハンケチ》に包んだものを出して私に見せた。私は「なんだ」と訊《き》いた。彼は「栗饅頭《くりまんじゅう》だ」と答えた。栗饅頭は先刻《さっき》彼が私の宅《うち》にいた時に出した菓子であった。彼がいつの間に、それを手帛に包んだろうかと考えた時、私はちょっと驚かされた。
「あの栗饅頭を取って来たのか」
「そうかも知れない」
彼は私の驚いた様子を馬鹿にするような調子でこう云ったなり、その手帛《ハンケチ》の包をまた隠袋《かくし》に収めてしまっ
前へ
次へ
全126ページ中29ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング