った銘仙《めいせん》のどてらを着ていた。私はそれを脱ぐのが面倒だから、そのまま仰向《あおむけ》に寝て、手を胸の上で組み合せたなり黙って天井《てんじょう》を見つめていた。
五
翌朝《あくるあさ》書斎の縁に立って、初秋《はつあき》の庭の面《おもて》を見渡した時、私は偶然また彼の白い姿を苔《こけ》の上に認めた。私は昨夕《ゆうべ》の失望を繰《く》り返《かえ》すのが厭《いや》さに、わざと彼の名を呼ばなかった。けれども立ったなりじっと彼の様子を見守らずにはいられなかった。彼は立木《たちき》の根方《ねがた》に据《す》えつけた石の手水鉢《ちょうずばち》の中に首を突き込んで、そこに溜《たま》っている雨水《あまみず》をぴちゃぴちゃ飲んでいた。
この手水鉢はいつ誰が持って来たとも知れず、裏庭の隅《すみ》に転《ころ》がっていたのを、引越した当時植木屋に命じて今の位置に移させた六角形《ろっかくがた》のもので、その頃は苔《こけ》が一面に生《は》えて、側面に刻みつけた文字《もんじ》も全く読めないようになっていた。しかし私には移す前一度|判然《はっきり》とそれを読んだ記憶があった。そうしてその
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