いどんな事を講演なすったのですか」
私は席上で、彼のためにまたその講演の梗※[#「(漑−さんずい)/木」、第3水準1−86−3]《こうがい》を繰《く》り返《かえ》した。
「別にむずかしいとも思えない事だろう君。どうしてそれが解らないかしら」
「解らないでしょう。どうせ解りゃしません」
私には断乎《だんこ》たるこの返事がいかにも不思議に聞こえた。しかしそれよりもなお強く私の胸を打ったのは、止《よ》せばよかったという後悔の念であった。自白すると、私はこの学校から何度となく講演を依頼されて、何度となく断ったのである。だからそれを最後に引き受けた時の私の腹には、どうかしてそこに集まる聴衆に、相当の利益を与えたいという希望があった。その希望が、「どうせ解りゃしません」という簡単な彼の一言《いちごん》で、みごとに粉砕《ふんさい》されてしまって見ると、私はわざわざ浅草まで行く必要がなかったのだと、自分を考えない訳に行かなかった。
これはもう一二年前の古い話であるが去年の秋またある学校で、どうしても講演をやらなければ義理が悪い事になって、ついにそこへ行った時、私はふと私を後悔させた前年を思い出し
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