々動く。気分も多少は変る。いくら狭い世界の中でも狭いなりに事件が起って来る。それから小さい私と広い世の中とを隔離しているこの硝子戸の中へ、時々人が入って来《く》る。それがまた私にとっては思いがけない人で、私の思いがけない事を云ったり為《し》たりする。私は興味に充《み》ちた眼をもってそれらの人を迎えたり送ったりした事さえある。
私はそんなものを少し書きつづけて見ようかと思う。私はそうした種類の文字《もんじ》が、忙がしい人の眼に、どれほどつまらなく映るだろうかと懸念《けねん》している。私は電車の中でポッケットから新聞を出して、大きな活字だけに眼を注《そそ》いでいる購読者の前に、私の書くような閑散な文字を列《なら》べて紙面をうずめて見せるのを恥ずかしいものの一つに考える。これらの人々は火事や、泥棒や、人殺しや、すべてその日その日の出来事のうちで、自分が重大と思う事件か、もしくは自分の神経を相当に刺戟《しげき》し得る辛辣《しんらつ》な記事のほかには、新聞を手に取る必要を認めていないくらい、時間に余裕をもたないのだから。――彼らは停留所で電車を待ち合わせる間に、新聞を買って、電車に乗っている間
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