ている。だから私にはそれがただ私の母だけの名前で、けっしてほかの女の名前であってはならないような気がする。幸いに私はまだ母以外の千枝という女に出会った事がない。
母は私の十三四の時に死んだのだけれども、私の今遠くから呼び起す彼女の幻像は、記憶の糸をいくら辿《たど》って行っても、御婆さんに見える。晩年に生れた私には、母の水々しい姿を覚えている特権がついに与えられずにしまったのである。
私の知っている母は、常に大きな眼鏡《めがね》をかけて裁縫《しごと》をしていた。その眼鏡は鉄縁の古風なもので、球《たま》の大きさが直径《さしわたし》二寸以上もあったように思われる。母はそれをかけたまま、すこし顋《あご》を襟元《えりもと》へ引きつけながら、私をじっと見る事がしばしばあったが、老眼の性質を知らないその頃の私には、それがただ彼女の癖とのみ考えられた。私はこの眼鏡と共に、いつでも母の背景になっていた一間《いっけん》の襖《ふすま》を想《おも》い出《だ》す。古びた張交《はりまぜ》の中《うち》に、生死事大《しょうじじだい》無常迅速《むじょうじんそく》云々と書いた石摺《いしずり》なども鮮《あざ》やかに眼に浮んで来る。
夏になると母は始終《しじゅう》紺無地《こんむじ》の絽《ろ》の帷子《かたびら》を着て、幅の狭い黒繻子《くろじゅす》の帯を締《し》めていた。不思議な事に、私の記憶に残っている母の姿は、いつでもこの真夏の服装《なり》で頭の中に現われるだけなので、それから紺無地の絽の着物と幅の狭い黒繻子の帯を取り除くと、後に残るものはただ彼女の顔ばかりになる。母がかつて縁鼻《えんばな》へ出て、兄と碁《ご》を打っていた様子などは、彼ら二人を組み合わせた図柄《ずがら》として、私の胸に収めてある唯一《ゆいいつ》の記念《かたみ》なのだが、そこでも彼女はやはり同じ帷子《かたびら》を着て、同じ帯を締《し》めて坐っているのである。
私はついぞ母の里へ伴《つ》れて行かれた覚《おぼえ》がないので、長い間母がどこから嫁に来たのか知らずに暮らしていた。自分から求めて訊《き》きたがるような好奇心はさらになかった。それでその点もやはりぼんやり霞《かす》んで見えるよりほかに仕方がないのだが、母が四《よ》ツ谷《や》大番町《おおばんまち》で生れたという話だけは確《たし》かに聞いていた。宅《うち》は質屋であったらしい。蔵が幾
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