分の地面を取り込んでいた。その庭を東に受けて離れ座敷のような建物も見えた。
 帳場格子のうちにいる連中は、時間が余って使い切れない有福な人達なのだから、みんな相応な服装《なり》をして、時々|呑気《のんき》そうに袂《たもと》から毛抜《けぬき》などを出して根気よく鼻毛を抜いていた。そんな長閑《のどか》な日には、庭の梅の樹《き》に鶯《うぐいす》が来て啼《な》くような気持もした。
 中入《なかいり》になると、菓子を箱入のまま茶を売る男が客の間へ配って歩くのがこの席の習慣になっていた。箱は浅い長方形のもので、まず誰でも欲しいと思う人の手の届く所に一つと云った風に都合よく置かれるのである。菓子の数は一箱に十ぐらいの割だったかと思うが、それを食べたいだけ食べて、後からその代価を箱の中に入れるのが無言の規約になっていた。私はその頃この習慣を珍らしいもののように興がって眺めていたが、今となって見ると、こうした鷹揚《おうよう》で呑気《のんき》な気分は、どこの人寄場《ひとよせば》へ行っても、もう味わう事ができまいと思うと、それがまた何となく懐《なつか》しい。
 私はそんなおっとりと物寂《ものさ》びた空気の中で、古めかしい講釈というものをいろいろの人から聴いたのである。その中には、すととこ[#「すととこ」に傍点]、のんのん[#「のんのん」に傍点]、ずいずい[#「ずいずい」に傍点]、などという妙な言葉を使う男もいた。これは田辺南竜《たなべなんりゅう》と云って、もとはどこかの下足番であったとかいう話である。そのすととこ[#「すととこ」に傍点]、のんのん[#「のんのん」に傍点]、ずいずい[#「ずいずい」に傍点]ははなはだ有名なものであったが、その意味を理解するものは一人もなかった。彼はただそれを軍勢の押し寄せる形容詞として用いていたらしいのである。
 この南竜はとっくの昔に死んでしまった。そのほかのものもたいていは死んでしまった。その後《ご》の様子をまるで知らない私には、その時分私を喜こばせてくれた人のうちで生きているものがはたして何人あるのだか全く分らなかった。
 ところがいつか美音会の忘年会のあった時、その番組を見たら、吉原の幇間《たいこもち》の茶番だの何だのが列《なら》べて書いてあるうちに、私はたった一人の当時の旧友を見出した。私は新富座へ行って、その人を見た。またその声を聞いた。そうして
前へ 次へ
全63ページ中55ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
夏目 漱石 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング