十五六歳の頃は、漢書や小説などを読んで文学というものを面白く感じ、自分もやって見ようという気がしたので、それを亡《な》くなった兄に話して見ると、兄は文学は職業にゃならない、アッコンプリッシメントに過ぎないものだと云って、寧《むし》ろ私を叱った。然《しか》しよく考えて見るに、自分は何か趣味を持った職業に従事して見たい。それと同時にその仕事が何か世間に必要なものでなければならぬ。何故《なぜ》というのに、困ったことには自分はどうも変物である。当時変物の意義はよく知らなかった。然し変物を以て自《みずか》ら任じていたと見えて、迚《とて》も一々|此方《こちら》から世の中に度を合せて行くことは出来ない。何か己《おのれ》を曲げずして趣味を持った、世の中に欠くべからざる仕事がありそうなものだ。――と、その時分私の眼に映ったのは、今も駿河台《するがだい》に病院を持って居る佐々木博士の養父だとかいう、佐々木東洋という人だ。あの人は誰もよく知って居る変人だが、世間はあの人を必要として居る。而《しか》もあの人は己を曲ぐることなくして立派にやって行く。それから井上達也という眼科の医者が矢張《やはり》駿河台に居たが、その人も丁度《ちょうど》東洋さんのような変人で、而も世間から必要とせられて居た。そこで私は自分もどうかあんな風にえらくなってやって行きたいものと思ったのである。ところが私は医者は嫌《きら》いだ。どうか医者でなくて何か好い仕事がありそうなものと考えて日を送って居るうちに、ふと建築のことに思い当った。建築ならば衣食住の一つで世の中になくて叶《かな》わぬのみか、同時に立派な美術である。趣味があると共に必要なものである。で、私はいよいよそれにしようと決めた。
 ところが丁度その時分(高等学校)の同級生に、米山保三郎という友人が居た。それこそ真性変物で、常に宇宙がどうの、人生がどうのと、大きなことばかり言って居る。ある日此男が訪《たず》ねて来て、例の如く色々哲学者の名前を聞かされた揚句《あげく》の果《はて》に君は何になると尋ねるから、実はこうこうだと話すと、彼は一も二もなくそれを却《しりぞ》けてしまった。其時かれは日本でどんなに腕を揮《ふる》ったって、セント・ポールズの大寺院のような建築を天下後世に残すことは出来ないじゃないかとか何とか言って、盛んなる大議論を吐いた。そしてそれよりもまだ文学の
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