の音はやはり容易には来なかった。ようやくのこと第一第二と同じく極《きわ》めて乾《から》び切《き》った響が――響とは云《い》い悪《にく》い。黒い空気の中に、突然無遠慮な点をどっと打って直《すぐ》筆を隠したような音が、余の耳朶《じだ》を叩《たた》いて去る後《あと》で、余はつくづくと夜を長いものに観じた。
もっとも夜は長くなる頃であった。暑さもしだいに過ぎて、雨の降る日はセルに羽織を重ねるか、思い切って朝から袷《あわせ》を着るかしなければ、肌寒《はださむ》を防ぐ便《たより》とならなかった時節である。山の端に落ち込む日は、常の短かい日よりもなおの事短かく昼を端折《はしお》って、灯《ひ》は容易に点《つ》いた。そうして夜《よ》は中々明けなかった。余はじりじりと昼に食い入る夜長を夜ごとに恐れた。眼が開《あ》くときっと夜であった。これから何時間ぐらいこうしてしんと夜の中に生きながら埋《うず》もっている事かと思うと、我ながらわが病気に堪《た》えられなかった。新らしい天井と、新らしい柱と、新らしい障子を見つめるに堪えなかった。真白な絹に書いた大きな字の懸物《かけもの》には最も堪えなかった。ああ早く夜が明
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