々明」に白丸傍点]。
[#ここで字下げ終わり]

        二十九

 修善寺《しゅぜんじ》が村の名で兼《かね》て寺の名であると云う事は、行かぬ前から疾《とく》に承知していた。しかしその寺で鐘の代りに太鼓を叩《たた》こうとはかつて想《おも》い至らなかった。それを始めて聞いたのはいつの頃であったか全く忘れてしまった。ただ今でも余が鼓膜の上に、想像の太鼓がどん――どんと時々響く事がある。すると余は必ず去年の病気を憶《おも》い出す。
 余は去年の病気と共に、新らしい天井《てんじょう》と、新らしい床《とこ》の間《ま》にかけた大島将軍の従軍の詩を憶い出す。そうしてその詩を朝から晩までに何遍となく読み返した当時を明らさまに憶い出す。新らしい天井と、新らしい床の間と、新らしい柱と、新らし過ぎて開閉《あけたて》の不自由な障子《しょうじ》は、今でも眼の前にありありと浮べる事ができるが、朝から晩までに何遍となく読み返した大島将軍の詩は、読んでは忘れ、読んでは忘れして、今では白壁《しらかべ》のように白い絹の上を、どこまでも同じ幅で走って、尾頭《おかしら》ともにぷつりと折れてしまう黒い線を認めるだけであ
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