逢《あ》えないと云った和尚の言葉もどうかこうか的中している。ただ顋《あご》の髯《ひげ》に至ってはその時から今日《こんにち》に至るまで、寧日《ねいじつ》なく剃《そ》り続けに剃っているから、地面と居宅《やしき》がはたして髯と共にわが手に入《い》るかどうかいまだに判然《はんぜん》せずにいた。
 ところが修善寺《しゅぜんじ》で病気をして寝つくや否や、頬がざらざらし始めた。それが五六日すると一本一本に撮《つま》めるようになった。またしばらくすると、頬から顋《あご》が隙間《すきま》なく隠れるようになった。和尚《おしょう》の助言《じょごん》は十七八年ぶりで始めて役に立ちそうな気色《けしき》に髯は延びて来た。妻《さい》はいっそ御生《おは》やしなすったら好いでしょうと云った。余も半分その気になって、しきりにその辺を撫《な》で廻していた。ところが幾日《いくか》となく洗いも櫛《くしけ》ずりもしない髪が、膏《あぶら》と垢《あか》で余の頭を埋《うず》め尽《つ》くそうとする汚苦《むさくる》しさに堪《た》えられなくなって、ある日床屋を呼んで、不充分ながら寝たまま頭に手を入れて顔に髪剃《かみそり》を当てた。その時地面
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