ず大道《だいどう》で講演でもするように大きな声を出して得意であった。そうして下女が来ると、必ず通客《つうかく》めいた粋《いき》がりを連発した。それを隣坐敷《となりざしき》で聞いていると、ウィットにもならなければヒューモーにもなっていないのだから、いかにも無理やりに、(しかも大得意に、)半可《はんか》もしくは四半可《しはんか》を殺風景に怒鳴《どな》りつけているとしか思われなかった。ところが下女の方では、またそれを聞くたびに不必要にふんだんな笑い方をした。本気とも御世辞《おせじ》とも片のつかない笑い方だけれども、声帯に異状のあるような恐ろしい笑い方をした。病気にのみ屈託《くったく》する余も、これには少からず悩まされた。
裸連の一部は下座敷にもいた。すべてで九人いるので、自《みずか》ら九人組とも称《とな》えていた。その九人組が丸裸になって幅六尺の縁側《えんがわ》へ出て踊をおどって一晩|跳《は》ね廻った。便所へ行く必要があって、障子《しょうじ》の外へ出たら、九人組は躍《おど》り草臥《くたび》れて、素裸《すはだか》のまま縁側に胡坐《あぐら》をかいていた。余は邪魔になる尻《しり》や脛《すね》の間を跨《また》いで用を足して来た。
長い雨がようやく歇《や》んで、東京への汽車がほぼ通ずるようになった頃、裸連は九人とも申し合せたように、どっと東京へ引き上げた。それと入れ代りに、森成さんと雪鳥君《せっちょうくん》と妻《さい》とが前後して東京から来てくれた。そうして裸連のいた部屋を借り切った。その次の部屋もまた借り切った。しまいには新築の二階座敷を四間《よま》ともに吾有《わがゆう》とした。余は比較的閑寂な月日の下《もと》に、吸飲《すいのみ》から牛乳を飲んで生きていた。一度は匙《さじ》で突き砕《くだ》いた水瓜《すいか》の底から湧《わ》いて出る赤い汁を飲まして貰《もら》った。弘法様《こうぼうさま》で花火の揚《あが》った宵《よい》は、縁近く寝床を摺《ず》らして、横になったまま、初秋《はつあき》の天《そら》を夜半近《やはんぢか》くまで見守っていた。そうして忘るべからざる二十四日の来るのを無意識に待っていた。
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萩《はぎ》に置く露の重きに病む身かな
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十三
その日は東京から杉本さんが診察に来る手筈《てはず》になっていた。雪鳥君が
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