ない菊屋の別館からも、容易に余の宿までは来る事ができない様子であった。すべてを片づけてから、夜の十時過になって、始めて蚊※[#「巾+厨」、第4水準2−8−91]《かや》の外まで来て、一言《ひとこと》見舞を云うのが常であった。
そういう夜《よ》の事であったか、または昼の話であったか今は忘れたが、ある時いつものように顔を合わせると、東洋城が突然、殿下からあなたに何か講話をして貰いたいという御注文があったと云い出した。この思いがけない御所望《ごしょもう》を耳にした余は少からず驚いた。けれども自分でさえ聞かずにすめば、聞かずにいたいような不愉快な声を出して、殿下に御話などをする勇気はとても出なかった。その上|羽織《はおり》も袴《はかま》も持ち合せなかった。そうして余のごとき位階のないものが、妄《みだ》りに貴《たっと》い殿下の前に出てしかるべきであるかないかそれが第一分らなかった。実際は東洋城も独断で先例のない事をあえてするのを憚《はばか》って、確《しか》とした御受はしなかったのだそうである。
余の苦痛が咽喉から胃に移る間もなく、東洋城は故郷《ふるさと》にある母の病《やまい》を見舞うべく、去る人と入れ代ってひとまず東京に帰った。殿下もそれからほどなく御立《おたち》になった。そうして忘るべからざる二十四日の来た頃、東洋城は余に関する何の消息も知らずに、また東海道を汽車で西へ下って行った。その時彼は四五分の停車時間を偸《ぬす》んで、三島から余にわざわざ一通の手紙を書いた。その手紙は途中で紛失してしまって、つい宿へ着かなかったけれども、東洋城が御暇乞《おいとまごい》に上がった時、余の病気の事を御忘れにならなかった殿下から、もし逢《あ》う機会があったなら、どうか大事にするようにというような篤《あつ》い意味の御言葉を承ったため、それをわざわざ病中の余に知らせたのだそうである。咽喉の病も癒《い》え、胃の苦しみも去った今の余は、謹《つつし》んで殿下に御礼を申上げなければならない。また殿下の健康を祈らなければならない。
十
雨がしきりに降った。裏山の絶壁を真逆《まさか》に下《くだ》る筧《かけい》の竹が、青く冷たく光って見えた幾日を、物憂《ものう》く室《へや》の中に呻吟《しんぎん》しつつ暮していた。人が寝静《ねしず》まると始めて夢を襲《おそ》う(欄干《らんかん》から六
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