建てなさいと勧めた。余は地面を買って居宅を建て得る身分なら何も君の所に厄介になっちゃいないと答えたかった。けれども顋の下の髯と、地面|居宅《やしき》とはどんな関係があるか知りたかったので、それだけちょっと聞き返して見た。すると和尚は真面目《まじめ》な顔をして、あなたの顔を半分に割ると上の方が長くって、下の方が短か過ぎる。したがって落ちつかない。だから早く顋髯を生やして上下の釣合《つりあい》を取るようにすれば、顔の居坐《いすわ》りがよくなって動かなくなりますと答えた。余は余の顔の雑作《ぞうさく》に向って加えられたこの物理的もしくは美学的の批判が、優に余の未来の運命を支配するかのごとく容易に説き去った和尚を少しおかしく感じた。そうしてなるほどと答えた。
 一年ならずして余は松山に行った。それからまた熊本に移った。熊本からまた倫敦《ロンドン》に向った。和尚の云った通り西へ西へと赴《おもむ》いたのである。余の母は余の十三四の時に死んだ。その時は同じ東京におりながら、つい臨終の席には侍《はんべ》らなかった。父の死んだ電報を東京から受け取ったのは、熊本にいる頃の事であった。これで見ると、親の死目に逢《あ》えないと云った和尚の言葉もどうかこうか的中している。ただ顋《あご》の髯《ひげ》に至ってはその時から今日《こんにち》に至るまで、寧日《ねいじつ》なく剃《そ》り続けに剃っているから、地面と居宅《やしき》がはたして髯と共にわが手に入《い》るかどうかいまだに判然《はんぜん》せずにいた。
 ところが修善寺《しゅぜんじ》で病気をして寝つくや否や、頬がざらざらし始めた。それが五六日すると一本一本に撮《つま》めるようになった。またしばらくすると、頬から顋《あご》が隙間《すきま》なく隠れるようになった。和尚《おしょう》の助言《じょごん》は十七八年ぶりで始めて役に立ちそうな気色《けしき》に髯は延びて来た。妻《さい》はいっそ御生《おは》やしなすったら好いでしょうと云った。余も半分その気になって、しきりにその辺を撫《な》で廻していた。ところが幾日《いくか》となく洗いも櫛《くしけ》ずりもしない髪が、膏《あぶら》と垢《あか》で余の頭を埋《うず》め尽《つ》くそうとする汚苦《むさくる》しさに堪《た》えられなくなって、ある日床屋を呼んで、不充分ながら寝たまま頭に手を入れて顔に髪剃《かみそり》を当てた。その時地面
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