五六時間の手間《てま》をかけて、どこからどこまで丹念に塗り上げている。これほどの骨折は、ただに病中の根気仕事としてよほどの決心を要するのみならず、いかにも無雑作《むぞうさ》に俳句や歌を作り上げる彼の性情から云っても、明かな矛盾である。思うに画と云う事に初心《しょしん》な彼は当時絵画における写生の必要を不折《ふせつ》などから聞いて、それを一草一花の上にも実行しようと企《くわだ》てながら、彼が俳句の上ですでに悟入した同一方法を、この方面に向って適用する事を忘れたか、または適用する腕がなかったのであろう。
東菊によって代表された子規の画は、拙《まず》くてかつ真面目《まじめ》である。才を呵《か》して直ちに章をなす彼の文筆が、絵の具皿に浸《ひた》ると同時に、たちまち堅くなって、穂先の運行がねっとり竦《すく》んでしまったのかと思うと、余は微笑を禁じ得ないのである。虚子《きょし》が来てこの幅《ふく》を見た時、正岡の絵は旨いじゃありませんかと云ったことがある。余はその時、だってあれだけの単純な平凡な特色を出すのに、あのくらい時間と労力を費さなければならなかったかと思うと、何だか正岡の頭と手が、いらざ
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