も比較にならない。三四郎はあの時の印象をいつのまにか取り落していたのを恥ずかしく思った。すると、
「君、不二山《ふじさん》を翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。
「翻訳とは……」
「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」
三四郎は翻訳の意味を了した。
「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉に翻訳することのできないものには、自然が毫《ごう》も人格上の感化を与えていない」
三四郎はまだあとがあるかと思って、黙って聞いていた。ところが広田さんはそれでやめてしまった。植木屋の奥の方をのぞいて、
「佐々木は何をしているのかしら。おそいな」とひとりごとのように言う。
「見てきましょうか」と三四郎が聞いた。
「なに、見にいったって、それで出てくるような男じゃない。それよりここに待ってるほうが手間がかからないでいい」と言って枳殻《からたち》の垣根の下にしゃがんで、小石を拾って、土の上へ何かかき出した。のん気なことである。与次郎ののん気とは方角が反対で、程度がほぼ相似ている。
ところへ植込みの松の向こうから、与次郎が大きな
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