そく歩調に狂いができた。その時透明な空気の画布《カンバス》の中に暗く描かれた女の影は一足前へ動いた。三四郎も誘われたように前へ動いた。二人は一筋道の廊下のどこかですれ違わねばならぬ運命をもって互いに近づいて来た。すると女が振り返った。明るい表の空気の中には、初秋《はつあき》の緑が浮いているばかりである。振り返った女の目に応じて、四角の中に、現われたものもなければ、これを待ち受けていたものもない。三四郎はそのあいだに女の姿勢と服装を頭の中へ入れた。
着物の色はなんという名かわからない。大学の池の水へ、曇った常磐木《ときわぎ》の影が映る時のようである。それはあざやかな縞《しま》が、上から下へ貫いている。そうしてその縞が貫きながら波を打って、互いに寄ったり離れたり、重なって太くなったり、割れて二筋になったりする。不規則だけれども乱れない。上から三|分《ぶ》一のところを、広い帯で横に仕切った。帯の感じには暖かみがある。黄を含んでいるためだろう。
うしろを振り向いた時、右の肩が、あとへ引けて、左の手が腰に添ったまま前へ出た。ハンケチを持っている。そのハンケチの指に余ったところが、さらりと開い
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