聞けない。少しおくれても同様だ。――円遊《えんゆう》もうまい。しかし小さんとは趣が違っている。円遊のふんした太鼓持《たいこもち》は、太鼓持になった円遊だからおもしろいので、小さんのやる太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だからおもしろい。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物がまるで消滅してしまう。小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したって、人物は活発|溌地《はっち》に躍動するばかりだ。そこがえらい。
与次郎はこんなことを言って、また
「どうだ」と聞いた。実をいうと三四郎には小さんの味わいがよくわからなかった。そのうえ円遊なるものはいまだかつて聞いたことがない。したがって与次郎の説の当否は判定しにくい。しかしその比較のほとんど文学的といいうるほどに要領を得たには感服した。
高等学校の前で別れる時、三四郎は、
「ありがとう、大いにもの足りた」と礼を述べた。すると与次郎は、
「これからさきは図書館でなくっちゃもの足りない」と言って片町《かたまち》の方へ曲がってしまった。この一言で三四郎ははじめて図書館にはいることを知った。
その翌日から三四郎は四十時間の講義をほとんど半分に減らしてし
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