痰ネいよと断わられた。なるほど三四郎にもどこが名文だかよくわからない。ただ句切りが悪くって、字づかいが異様で、言葉《ことば》の運び方が重苦しくって、まるで古いお寺を見るような心持ちがしただけである。この一節だけ読むにも道程《みちのり》にすると、三、四町もかかった。しかもはっきりとはしない。
贏《か》ちえたところは物|寂《さ》びている。奈良《なら》の大仏の鐘をついて、そのなごりの響が、東京にいる自分の耳にかすかに届いたと同じことである。三四郎はこの一節のもたらす意味よりも、その意味の上に這《は》いかかる情緒の影をうれしがった。三四郎は切実に生死の問題を考えたことのない男である。考えるには、青春の血が、あまりに暖かすぎる。目の前には眉《まゆ》を焦がすほどな大きな火が燃えている。その感じが、真の自分である。三四郎はこれから曙町《あけぼのちょう》の原口の所へ行く。
子供の葬式が来た。羽織を着た男がたった二人ついている。小さい棺はまっ白な布で巻いてある。そのそばにきれいな風車《かざぐるま》を結《ゆ》いつけた。車がしきりに回る。車の羽弁《はね》が五色《ごしき》に塗ってある。それが一色《いっしき
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