ホった。この男がなかなか帰りそうもないので三四郎は、書物を借りて、勝手から表へ出た。
「朽《く》ちざる墓に眠り、伝わる事に生き、知らるる名に残り、しからずば滄桑《そうそう》の変に任せて、後《のち》の世に存せんと思う事、昔より人の願いなり。この願いのかなえるとき、人は天国にあり。されども真《まこと》なる信仰の教法よりみれば、この願いもこの満足も無きがごとくにはかなきものなり。生きるとは、再《ふたたび》の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願いにもあらず、望みにもあらず、気高き信者の見たるあからさまなる事実なれば、聖徒イノセントの墓地に横たわるは、なおエジプトの砂中にうずまるがごとし。常住の我身を観じ喜べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟《たいびょう》と異なる所あらず。成るがままに成るとのみ覚悟せよ」
 これはハイドリオタフヒアの末節である。三四郎はぶらぶら白山《はくさん》の方へ歩きながら、往来の中で、この一節を読んだ。広田先生から聞くところによると、この著者は有名な名文家で、この一編は名文家の書いたうちの名文であるそうだ。広田先生はその話をした時に、笑いながら、もっともこれは私の説じ
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