な塵である。
 第二の世界に動く人の影を見ると、たいてい不精《ぶしょう》な髭《ひげ》をはやしている。ある者は空を見て歩いている。ある者は俯向《うつむ》いて歩いている。服装《なり》は必ずきたない。生計《くらし》はきっと貧乏である。そうして晏如《あんじょ》としている。電車に取り巻かれながら、太平の空気を、通天に呼吸してはばからない。このなかに入る者は、現世を知らないから不幸で、火宅《かたく》をのがれるから幸いである。広田先生はこの内にいる。野々宮君もこの内にいる。三四郎はこの内の空気をほぼ解しえた所にいる。出れば出られる。しかしせっかく解《げ》しかけた趣味を思いきって捨てるのも残念だ。
 第三の世界はさんとして春のごとくうごいている。電燈がある。銀匙《ぎんさじ》がある。歓声がある。笑語がある。泡立《あわだ》つシャンパンの杯がある。そうしてすべての上の冠として美しい女性《にょしょう》がある。三四郎はその女性の一人《ひとり》に口をきいた。一人を二へん見た。この世界は三四郎にとって最も深厚な世界である。この世界は鼻の先にある。ただ近づき難い。近づき難い点において、天外の稲妻《いなずま》と一般であ
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