思い出した。
三四郎がいろいろ考えるうちに、時々例のリボンが出てくる。そうすると気がかりになる。はなはだ不愉快になる。すぐ大久保へ出かけてみたくなる。しかし想像の連鎖やら、外界の刺激やらで、しばらくするとまぎれてしまう。だからだいたいはのん気である。それで夢を見ている。大久保へはなかなか行かない。
ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂《だんござか》の上から、左へ折れて千駄木《せんだぎ》林町《はやしちょう》の広い通りへ出た。秋晴れといって、このごろは東京の空もいなかのように深く見える。こういう空の下に生きていると思うだけでも頭ははっきりする。そのうえ、野へ出れば申し分はない。気がのびのびして魂が大空ほどの大きさになる。それでいてからだ総体がしまってくる。だらしのない春ののどかさとは違う。三四郎は左右の生垣《いけがき》をながめながら、生まれてはじめての東京の秋をかぎつつやって来た。
坂下では菊人形が二、三日前開業したばかりである。坂を曲がる時は幟《のぼり》さえ見えた。今はただ声だけ聞こえる、どんちゃんどんちゃん遠くからはやしている。そのはやしの音が、下の方から次第に浮き上がってきて、澄み切った秋の空気の中へ広がり尽くすと、ついにはきわめて稀薄な波になる。そのまた余波が三四郎の鼓膜《こまく》のそばまで来てしぜんにとまる。騒がしいというよりはかえっていい心持ちである。
時に突然左の横町から二人あらわれた。その一人が三四郎を見て、「おい」と言う。
与次郎の声はきょうにかぎって、几帳面《きちょうめん》である。その代り連《つれ》がある。三四郎はその連を見た時、はたして日ごろの推察どおり、青木堂で茶を飲んでいた人が、広田さんであるということを悟った。この人とは水蜜桃《すいみつとう》以来妙な関係がある。ことに青木堂で茶を飲んで煙草をのんで、自分を図書館に走らしてよりこのかた、いっそうよく記憶にしみている。いつ見ても神主《かんぬし》のような顔に西洋人の鼻をつけている。きょうもこのあいだの夏服で、べつだん寒そうな様子もない。
三四郎はなんとか言って、挨拶《あいさつ》をしようと思ったが、あまり時間がたっているので、どう口をきいていいかわからない。ただ帽子を取って礼をした。与次郎に対しては、あまり丁寧すぎる。広田に対しては、少し簡略すぎる。三四郎はどっちつかずの中間に
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