でた。すると与次郎が、すぐ、
「この男は私の同級生です。熊本の高等学校からはじめて東京へ出て来た――」と聞かれもしないさきからいなか者を吹聴《ふいちょう》しておいて、それから三四郎の方を向いて、
「これが広田先生。高等学校の……」とわけもなく双方《そうほう》を紹介してしまった。
この時広田先生は「知ってる、知ってる」と二へん繰り返して言ったので、与次郎は妙な顔をしている。しかしなぜ知ってるんですかなどとめんどうな事は聞かなかった。ただちに、
「君、この辺に貸家はないか。広くて、きれいな、書生部屋のある」と尋ねだした。
「貸家はと……ある」
「どの辺だ。きたなくっちゃいけないぜ」
「いやきれいなのがある。大きな石の門が立っているのがある」
「そりゃうまい。どこだ。先生、石の門はいいですな。ぜひそれにしようじゃありませんか」と与次郎は大いに進んでいる。
「石の門はいかん」と先生が言う。
「いかん? そりゃ困る。なぜいかんです」
「なぜでもいかん」
「石の門はいいがな。新しい男爵のようでいいじゃないですか、先生」
与次郎はまじめである。広田先生はにやにや笑っている。とうとうまじめのほうが勝って、ともかくも見ることに相談ができて、三四郎が案内をした。
横町をあとへ引き返して、裏通りへ出ると、半町ばかり北へ来た所に、突き当りと思われるような小路《こうじ》がある。その小路の中へ三四郎は二人を連れ込んだ。まっすぐに行くと植木屋の庭へ出てしまう。三人は入口の五、六間手前でとまった。右手にかなり大きな御影《みかげ》の柱が二本立っている。扉《とびら》は鉄である。三四郎がこれだと言う。なるほど貸家札がついている。
「こりゃ恐ろしいもんだ」と言いながら、与次郎は鉄の扉をうんと押したが、錠がおりている。「ちょっとお待ちなさい聞いてくる」と言うやいなや、与次郎は植木屋の奥の方へ駆け込んで行った。広田と三四郎は取り残されたようなものである。二人で話を始めた。
「東京はどうです」
「ええ……」
「広いばかりできたない所でしょう」
「ええ……」
「富士山に比較するようなものはなんにもないでしょう」
三四郎は富士山の事をまるで忘れていた。広田先生の注意によって、汽車の窓からはじめてながめた富士は、考え出すと、なるほど崇高なものである。ただ今自分の頭の中にごたごたしている世相《せそう》とは、とて
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