起った異聞奇譚《いぶんきだん》を、老耄《ろうもう》せずに覚えていてくれればいいのである。だまって聞いていると話が横道へそれそうだ。
「まだ家令を務《つと》めているくらいなら記憶はたしかだろうな」
「たしか過ぎて困るね。屋敷のものがみんな弱っている。もう八十近いのだが、人間も随分丈夫に製造する事が出来るもんだね。当人に聞くと全く槍術《そうじゅつ》の御蔭だと云ってる。それで毎朝起きるが早いか槍をしごくんだ……」
「槍はいいが、その老人に紹介して貰えまいか」
「いつでもして上げる」と云うと傍《そば》に聞いていた同僚が、君は白山の美人を探《さ》がしたり、記憶のいい爺さんを探したり、随分多忙だねと笑った。こっちはそれどころではない。この老人に逢いさえすれば、自分の鑑定が中《あた》るか外《はず》れるか大抵の見当がつく。一刻も早く面会しなければならん。同僚から手紙で先方の都合を聞き合せてもらう事にする。
二三日《にさんち》は何の音沙汰《おとさた》もなく過ぎたが、御面会をするから明日《みょうにち》三時頃来て貰いたいと云う返事がようやくの事来たよと同僚が告げてくれた時は大《おおい》に嬉《うれ》しかった
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