籠《こ》めて浩さんの事を思い出す。そら晴れた、表へ出て浩さんの友達に逢《あ》う。歓迎で国旗を出す、あれが生きていたらと愚痴《ぐち》っぽくなる。洗湯《せんとう》で年頃の娘が湯を汲《く》んでくれる、あんな嫁がいたらと昔を偲《しの》ぶ。これでは生きているのが苦痛である。それも子福者であるなら一人なくなっても、あとに慰めてくれるものもある。しかし親一人子一人の家族が半分欠けたら、瓢箪《ひょうたん》の中から折れたと同じようなものでしめ括《くく》りがつかぬ。軍曹の婆さんではないが年寄りのぶら下がるものがない。御母さんは今に浩一《こういち》が帰って来たらばと、皺《しわ》だらけの指を日夜《にちや》に折り尽してぶら下がる日を待ち焦《こ》がれたのである。そのぶら下がる当人は旗を持って思い切りよく塹壕の中へ飛び込んで、今に至るまで上がって来ない。白髪《しらが》は増したかも知れぬが将軍は歓呼《かんこ》の裡《うち》に帰来《きらい》した。色は黒くなっても軍曹は得意にプラットフォームの上に飛び下りた。白髪になろうと日に焼けようと帰りさえすればぶら下がるに差《さ》し支《つか》えはない。右の腕を繃帯《ほうたい》で釣るし
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