いものだから勝手な事を考えながら眺《なが》めていた。軍曹も何か物足らぬと見えてしきりにあたりを見廻している。ほかのもののように足早に新橋の方へ立ち去る景色《けしき》もない。何を探《さ》がしているのだろう、もしや東京のものでなくて様子が分らんのなら教えて遣《や》りたいと思ってなお目を放さずに打ち守っていると、どこをどう潜《くぐ》り抜けたものやら、六十ばかりの婆さんが飛んで出て、いきなり軍曹の袖《そで》にぶら下がった。軍曹は中肉ではあるが背《せい》は普通よりたしかに二寸は高い。これに反して婆さんは人並はずれて丈《たけ》が低い上に年のせいで腰が少々曲っているから、抱き着いたとも寄り添うたとも形容は出来ぬ。もし余が脳中にある和漢の字句を傾けて、その中《うち》からこのありさまを叙するに最も適当なる詞《ことば》を探したなら必ずぶら下がる[#「ぶら下がる」に傍点]が当選するにきまっている。この時軍曹は紛失物が見当ったと云う風で上から婆さんを見下《みおろ》す。婆さんはやっと迷児《まいご》を見つけたと云う体《てい》で下から軍曹を見上げる。やがて軍曹はあるき出す。婆さんもあるき出す。やはりぶらさがったまま
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