起った異聞奇譚《いぶんきだん》を、老耄《ろうもう》せずに覚えていてくれればいいのである。だまって聞いていると話が横道へそれそうだ。
「まだ家令を務《つと》めているくらいなら記憶はたしかだろうな」
「たしか過ぎて困るね。屋敷のものがみんな弱っている。もう八十近いのだが、人間も随分丈夫に製造する事が出来るもんだね。当人に聞くと全く槍術《そうじゅつ》の御蔭だと云ってる。それで毎朝起きるが早いか槍をしごくんだ……」
「槍はいいが、その老人に紹介して貰えまいか」
「いつでもして上げる」と云うと傍《そば》に聞いていた同僚が、君は白山の美人を探《さ》がしたり、記憶のいい爺さんを探したり、随分多忙だねと笑った。こっちはそれどころではない。この老人に逢いさえすれば、自分の鑑定が中《あた》るか外《はず》れるか大抵の見当がつく。一刻も早く面会しなければならん。同僚から手紙で先方の都合を聞き合せてもらう事にする。
二三日《にさんち》は何の音沙汰《おとさた》もなく過ぎたが、御面会をするから明日《みょうにち》三時頃来て貰いたいと云う返事がようやくの事来たよと同僚が告げてくれた時は大《おおい》に嬉《うれ》しかった。その晩は勝手次第に色々と事件の発展を予想して見て、先《ま》ず七分までは思い通りの事実が暗中から白日の下《もと》に引き出されるだろうと考えた。そう考えるにつけて、余のこの事件に対する行動が――行動と云わんよりむしろ思いつきが、なかなか巧みである、無学なものならとうていこんな点に考えの及ぶ気遣《きづかい》はない、学問のあるものでも才気のない人にはこのような働きのある応用が出来る訳がないと、寝ながら大得意であった。ダーウィンが進化論を公けにした時も、ハミルトンがクォーターニオンを発明した時も大方《おおかた》こんなものだろうと独《ひと》りでいい加減にきめて見る。自宅《うち》の渋柿は八百屋《やおや》から買った林檎《りんご》より旨《うま》いものだ。
翌日《あくるひ》は学校が午《ひる》ぎりだから例刻を待ちかねて麻布《あざぶ》まで車代二十五銭を奮発して老人に逢って見る。老人の名前はわざと云わない。見るからに頑丈《がんじょう》な爺さんだ。白い髯《ひげ》を細長く垂れて、黒紋付に八王子平《はちおうじひら》で控えている。「やあ、あなたが、何の御友達で」と同僚の名を云う。まるで小供扱だ。これから大発明をして
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